スイス鉄道の一等車に乗ったら、ビジネス用の車両がありました。四つの席が一部屋のように区切られていて、それが一車両に三つか四つあったような気がします。
その一番端っこの席に、上の画像のような額縁に入った男性の写真がありました。
一体、誰なんだろう?と考えてみたけれど、見たこともないしさっぱり分からない。
スイス鉄道のビジネス車両に使われる位なんだから、スイスに関連する人物なんだろうな、と思いつつ、うーん メガネをかけた男性。。
へ、ヘルマン・ヘッセ?いや、あの人はドイツ人だし作家さんだしビジネス車両っぽくないしな。。うーん、マハトマ・ガンジー? いや、明らかに顔が違うしインドの人だし人権家だからビジネス車両と全然関係ない。。
分からないわぁ~ スイスの事知らなさすぎるしなぁ、と。
そういえばスイス人作家のマックス・フリッシュのこともチューリッヒシアターのお芝居を見るまで存在そのものを知らなかったしなあ、、と。
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スイス知識が無さ過ぎて、何かにピンとくることもない...
でも誰なのかめっちゃ気になる~ どうしよう?と思ってインスタグラムでスイス鉄道に問い合わせすることにしました。
この画像を投稿して、スイス鉄道をタグ付けして『この方はどなたですか?』と問い合わせたところ、一時間後位に返信がありました。
Jean Rudolf von Salisさんというスイス人の歴史家、作家、またジャーナリストであった方の様です。全くもってどなたか存じ上げませんでしたが、、Wikipediaを見てみると激動の人生について書かれていました。
リンクはこちら↓
Jean Rudolf von Salis – Wikipedia
私のざっくりな要約はこちらになります↓
貴族出身で、ベルンのドイツ語とフランス語の二言語圏で育ち、フランスとドイツとスイスで歴史学を学んだ後、スイスの新聞社で特派員として働き、その後はチューリッヒ連邦工科大学の議長を33年間務めたそうです。
1938年にスイスが内外の政治の影響を受けた時期に、『じっとそこにとどまる事』、スイスの中立性を訴えたとのこと。第二次世界大戦中には毎週金曜日にラジオの番組で分かりやすく情勢の説明をし、ドイツと占領地の多くの人々に客観性と公平性で慰めと希望を与えたとの事です。
ナチズムに対する明確な批判的態度をとっていたため、当時のドイツ政府からスイス連邦議会に対し、彼を解任させる事を何度も要請されており、彼のその姿勢が原因でリベラルなNZZ(スイスの新聞社)編集チームに加わりたいという希望はかなわなかったようです。
1952年から1964年までは国の知的防衛を促進する為の組織、プロヘルべティア財団の会長を務めたそうです。1996年にBruneggで死去。
こうやって私の空っぽなスイス知識にまたひとつ新しいものが加わりました。念のため、ジャン ルドルフ フォン サリスと彼の名前で日本語の記事がないのか検索したのですが、スイスインフォさんのこちらの記事で見かけただけなので、あまり日本語での情報がないのかもしれません。それとも別のカタカナ表記があるのかも?
リンクはこちら↓
個人的には全然知らない人でしたが、スイスの方にとっては知ってて当たり前、スイス史で習う人物なのかもしれませんね。スイスの中立性についてはいつも地味に気になっているテーマなので、こうやって思わぬところから情報が入ってくるのはありがたい事です。気になってる割にはめんどくさくて自分から真面目に検索したりはしないので、ぼーっとしてて入ってくる情報はありがたく頂戴しております。
そして今回、インスタグラムで問い合わせをしてすぐに返信をいただけたのでモヤモヤ時間が少なくすっきりしました笑
気になる事をすぐに問い合わせしてすぐに回答いただけるなんて、良い時代になりましたなぁ!
ユッフー♪
ではでは~
またブログにお越し下さると嬉しいです♡