こないだベランダの椅子に座って向かいの大きな木が揺れるのを見てたんです。揺れ方とか葉の音とかをぼんやり見聞きしてたんですが、そこから一羽の鳥が下向きに弧を描いて(アルファベットのUの形)別の木にとまったんです。別の木はうちのベランダの5m先位にあって一番近いところにある木です。
口に枝をくわえたまま別の木にとまったな、と思っていたら同じような鳥がその木の中で待っていることに気づきました。どうやら見えないところに鳥の巣を作っていたようで、今まさに巣作り中というところを発見しました。
一羽は手前の木で待機し、もう一羽は大きな木に向かって飛んでは枝をとって手前の木に戻ってくる、というのを繰り返している。ベランダから5m先位なのでじっくり見ている内に、だんだんと愛着というか親近感がわいてきました。いつもだったら、ああ鳥が飛んでるのね、位なのに枝をくわえた鳥の何と可愛いこと!鳥が熱心に巣作りをしているわ、しかも家のベランダの近くで!と喜び。室内からも窓越しに巣のあるところを見つけては鳥の頭がひょこひょこしてるのを確認して一人喜ぶ、というのをやっていました。
日々、愛着は深くなりそのうち卵が生まれて…なんて想像してみると将来への期待が止まらない!と思いつつ、はたと気づきました。私がたとえどれだけ愛着を感じても鳥には知ったこちゃないんだろうな、と。当たり前のことですがそれで一瞬切なくなりました。
可愛い可愛い甥っ子姪っ子に感じるような、すこやかな成長を願って遠くからこんなに愛情を感じているのに本人達には知ったこちゃないんだろうな、というような切なさを思い出しました。
なんだこの一方通行な愛情や愛着は!別にそれに応えて欲しいとは思っていないのに、一人取り残されるようにあちら側ではあちらの世界が着々と進んでいくという、同じ世界に生きてるのに実は全く別世界にいるような感覚。消化しきれない愛でどうしよっかな~もやもや、という感じなのかあちら側とこちら側の差に切なくなってるだけなのか?
ということを考えながら、なんてことない日常過ぎてこんなことをふつふつと考えれるほど穏やかな生活を送ってるんだな、と思いました。
なぜならば仕事を辞めて一か月はよく仕事の悪夢に悩まされ、日曜日は朝からサザエさん症候群状態でうつうつとしていたからです。やっとその悪夢から解放され、またアパートの共同洗濯場のことなどで悩み始める、という悩みのレベルが日常ベースが平和だからこそできる悩みに変わってきているので実はちょっと喜んでいます。
人が介入してなおかつ時間制限と結果が関わる悩みと、一人でふつふつ考える悩みとは全く別物なので、今はこのなんてことのない日常をリラックスして楽しんでいます。
もちろんわざとどこかに目を向ければいくらでも悩みは増やせるし、見方を調整することで深刻にもできます。でもそれはしたくないので、ひたすらぼーっとぼやーっと。
このぼーっと、がしたくて努力と微調整に精を出してきたのでこれからもっと全力でぼやーっとしたいです。
以上、なんてことのない日常の話でした。
あ、以前スイスやドイツのことなどで質問をいただいてそれについて回答として投稿をしていたこともあるので、もし何かありましたら質問などいただけると嬉しいです。
(ちょっと自分から出てくるアイデアに飽きている時期でもありまして...)
ではでは、またご訪問いただけると嬉しいです。
あでー!
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