スイスすごろく++スタートはドイツ++

計らずもドイツからスイス(ドイツ語圏)へ移住 両国の生活を比べつつサバイバル方法/学習記録をメモしていきたいと思います。

出てきた答え


f:id:iiimo_imo:20200514004304j:image

 

 上の投稿の続きです。

 

本当に自分のやってみたいことって何だろう?と考えつつ、職業安定所に連絡をしました。失業が決まったら遅くとも最終勤務日の次の日(つまり無職になった日)には連絡せねばなりません。もちろん職業安定所のサポートが必要な人用で強制ではなかったと思います。

 

必要書類を揃えて、安定所に電話をしました。コロナの影響で通常なら対面でのやりとりも今は不可な様で電話での申し込みのみだそうです。電話をしたらまずは受付の人と話しをし、後ほど担当者が電話をするのでしばしお待ちを、との事でした。

 

一時間後に担当者から電話があり、以前初めてスイスで就活中にもお世話になったことがあったので、その時の情報が残ってるからと話はスムーズでした。担当の方は最初スイスドイツ語で話していて、私も聞き取れたので何も言わずそのまま会話を続けていたのですが、途中で標準(高地)ドイツ語の方が良いですか?と聞かれたので、それでお願いしますと変えてもらいました。

 

話しながら気づいたのが、その方のスイスドイツ語訛りのある標準(高地)ドイツ語が普通に聞き取れました。スイスで就職前はスイスドイツ語圏の人の話す標準(高地)ドイツ語が結構聞き取りにくて、しかも話し方のリズムやニュアンスから何を意図されているのか明確に分かりにくい、と悩んでいました。ただ単にドイツでの生活を基準に判断してたのでスイス生活に慣れていなかったからなのですが。スイスでスイス出身の人と働くうちに、スイスドイツ語圏での話しの流れ方や、意図することが分かるようになってきたようで、以前はあたふたしたであろう会話が自然にできるようになっていました。

 

例えば、スイスドイツ語圏の人がよく語尾にoder (日本語で言うと「でしょ?」「だよね?」的な表現です)、とつけて話すので以前はついつい同意をもとめられてる?と思って反応しそうになったのですが、スイス生活でそれはもうただの口癖というかそういう風に話すだけ、と気づいたのでスルーできるようになりました。あと、念押し気味にIsch guet? = Ist es gut? (日本語で言うと「これで良い?」「これでオッケー?」みたいな表現です。)としつこく言われるのも、最初は何なんだ、何の確認!?と思ってたけど、今ではoderと同じように口癖みたいなもんだ、と知っているので私の方でも、うん、大丈夫と答えて済ませられるようになりました。

 

他にも、何かについて、そうですかとこちらが簡単に答えて特に理由を聞いてなくても淡々と理由を説明される、というのもスイス式だなぁ…と。スイスに移住したばかりの頃は何だ何だ?この人なんで聞いてないことまで詳しく淡々と語るんだ、と思ってたのですが、ただのスイス文化(ドイツ語圏のみ?)なんだと理解できるようにもなりました。

 

それでここ数年での自分の変化や慣れに気づいて、かなり喜んでしまいました。自分では自分のことをスイス生活での行いがあんまりよろしくないなぁ、、変化や進歩がないなぁ、と思ってたのにちゃんとできる事、分かる事が増えていってるじゃないか!嬉しい!!と。

 

そして、本当に自分のやりたいことや大きく考えれば人生の目的など、一体何なんだろうと、薄々気づいてはいたのですが、どうやらこれと言ったものは何もないという事に職業安定所と電話してはっきり分かりました。有名になりたいわけでもない、社会的に成功したいということもない、何かを発明したいというのもない、何かを成し遂げたい、というのもない。

 

一番好きなこと、私を喜ばせてくれるのは日常の中にあって、日常の変化、それを見て感じる私の感じ方、考え方、意見を知ること、自分の変化を知ること、世の中がどう動くか、世の中を作り上げる人々が何を思って何を考えて、何を生み出すのかを見る事、もちろん人だけじゃなくてこの地球上で起きてる様々なことを見て、私も同時に体験するということ。

 

自分を知ることと世の中について知ること、それに参加できるというだけでとても楽しいです。もちろん嫌な思いをする事もあって、全部を美化する訳ではないですが、それも含めて自分がどう感じるか、を知るのが好きなんだな、と。

 

変な話だと思われるかもしれないのですが、私は仕事をして同僚に名前を呼ばれたりメールに私の名前を見ると、私のことを知っている人がいるんだ、と毎朝感動してしまいます。なぜ感動するのかは自分でもよく分からなかったので、ずっと考えていたのですが、自分の感覚の中で小さい頃の感覚が残っていて、自分の年齢と今ここにいる感覚が小さい頃の視点から見ると当然合ってないので、どこか知らない未来に来たようで、自分は今まるで小学生のような気持で世界を見ているのに、実際に起きているコトは外国で暮らして、一緒に働くまでは赤の他人だった人が今では私のことを認識しているんだ、と思ってしまいます。

 

自分の変化と人の変化を見て感動して、お気に入りの服を着ては喜んで、キーボードで打ち込むと字が現われるのを見て喜んで、お風呂にはるお湯の温度差を楽しんで、波紋を見て喜んで、子供みたいだな、と思いました。子供の頃の感覚のまま大きくなったんだな、と。

 

子供の頃は、私の親は何も言いませんでしたが世間では上を目指すことを良しとされたし、勝負には勝つべきだという空気でした。でも私は勝ちに行くことには興味がない、勝たなくても楽しいし、勝ちに行くための方法がいくつもあってそれを観察して分析する方が楽しいし、勝ったひと、負けたひとの捉え方が人それぞれ違うこと、それを見るほうがもっと興味深かった。上を目指しても自分が幸せじゃないなら意味がないじゃないか、とも思っていました。

 

色んなひとがいる、色んなひとやことが作り上げるこの世界で生きていくだけで楽しいのに、私の興味のないことを求められる空気が嫌で仕方ありませんでした。それが好きな人はそれをすれば良い、人それぞれ好みがあるんだからそれはそれで良い。でも私には興味がないから強制しないで、と思っていました。それでも世間の言うことに合わせるべきかもしれない、とあっちを試し、こっちを試し、合う合わないものがどんどん分かってくる。

 

今回、職業安定所に電話したことで分かった私の本当にしたいこと。

ただこの些細な日常をもっともっと全力で感動して楽しみたい。別に他人に理解されなくて良い、本当にしたい事はただ生きていくだけ、この一瞬一瞬が楽しくて愛おしいんだからしょうがない。目標なんかない、目的なんかない。毎日が楽しい、生きてるだけで楽しい。

 

それで良いんじゃないか、と思いました。その内また別にはっきりと何か目標が出てくるのかもしれないし、そうなったらそれをやれば良いし、興味がなくなったら止めればいい。それだけの話なんだ、と。

 

そう分かったらスッキリしました。小さい頃、趣味を聞かれて困ったのはこういうことだったんだ、とも。趣味?割と何をやってても楽しいし、生きてるだけで楽しい、と思ってましたが音楽鑑賞とか水泳などと答えてました。そういう答えが求められるから。

 

でも、もう求められる答えを答えるのは止めます。結構疲れちゃったし。

 

いつもいつも何でも楽しいという訳でもないですが、しんどいのも悩むのも自分を知って世の中を知る為に必要なセットに入ってるんだろうなぁ、と思ってます。嫌なこと、辛いことがあってもポジティブに立ち上がろう!ともしていません。私いま辛いんだな、抜け出したいんだな、と思いつつ気分転換したり時間薬を頼りにしたり、落ち込んだりして気がついたらまた元気になってて… とこういう変化を楽しんでるんだと気づきました。

 

長々と書いてしまいましたが、以上、私の本当にやりたいこと、でした。

 

では、また。

あデー!!

 

 

 

---------------------

お!この記事役にたった!+ポチっとしても良いかな、という方は以下のバナーをポチっとしてもらえるととっても嬉しいです。

にほんブログ村 海外生活ブログ スイス情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ドイツ情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村