白黒写真に着色する、というものを最近は簡単にネットで見れるようになりました。
1800年代の白黒写真を見ると、昔の写真なんだなあ、と思うのですが着色されると一気にその時代にひとが生きていたことを実感させられるというか、現代のひとが当時の服を着て写真撮影しただけなんじゃないの?と思ってしまうような親近感があります。
最近の着色技術は100年前か現代のものか分からなくさせるほどのもので、、というか現代の写真が昔に寄せるのが上手いのかもしれませんが、何にせよもう時代の差がさほど感じられないんです。
1915~1925年代の着色された写真を見ると、はにかんで笑うひと、真顔のひと、事情の分かってなさそうなひと、色んなひとがいます。
100年前で時代は違ってもどの表情も現代でも見るようなものばかり。
あぁ、この時代にも私と同じように当時の『日常』を生きていたひとがいるんだ、と思うと同時にどんな生活だったんだろう?と思いを馳せてしまいます。
今のような洗濯機はなかったし、その分洗濯に占める割合が多かっただろうし、そもそも洗濯する機会も少なめだったのかも?洗剤は?生地の強度は?などと何故か洗濯についても思いを馳せて…
きっと洗濯は手間だな、骨が折れるな、と思っていたことでしょう。もっと楽にしたい、洗濯の時間を他にあてたい、と思っていたかも??などと思って、100年後の私の生活は誰かの憧れた未来なんだろうなぁ~ とソファに沈み込み入み思っていました。
このソファもサイドテーブルもカーペットも、食卓も高級品ではないけど自分の心揺さぶるものを買って愛でて使っていて、ネットでいいな、と思って働いて注文したもの。
いとも簡単に手に入ってしまった。誰かが素敵なものを作ってくれたから。そしてさらっと購入しちゃった、だって仕事をしている普通の大人なら買えちゃう値段なんですもの。
でも、わたしゃ異国暮らしの外国人だよ、ここでは。こんなに簡単に異国で生活を始めて、心揺さぶられるものと普通に暮らせているとは。
もし私が100年前の20~30代女性ならば、多くの国では選挙権もないし、外国暮らしなんてできなかったんだろうな、と。異国とはとても遠くにあって…私が月に住むなんて…ぷぷぷ、一般人には無理なこと、くらいのことだったのかも。
私は今誰かの憧れた未来を生きてるんだな、とぼんやり思います。インスタグラムで行ったことのない素敵な場所、欲しくなる素敵なもの、有名なひとの様々な表情を見ながら、なんて大量の視覚情報・・・(;´Д`)とおなかいっぱいになるときもあります…
でも写真が一般的じゃなかった時代のひとは、大事なひとの姿を残す方法もなく、思い出しては思いを馳せて、声を聞きたい、動く姿も見たいと思ったんだろうな、と。写真って今では当たり前だけど当時は居なくなった大事なひとの姿を見るための貴重な手段だったのだろうし、、片想い中なんて頭の中のイメージだけを頼りに恋患っていたのでしょうしね。。
誰かの憧れた未来を生きてる私は過去の人から羨ましがられるのかもしれない。でも私の憧れる未来を生きるひともこれからどんどん現れて、既に存在しているひともいるだろうし、何だか同じ国出身、同じ思想や主義を持ってる、とかよりも同じ時代を生きてるってだけで親近感が湧きます(笑)
今生きてるひとは今の医療技術じゃ200年後は誰もいなくなっているだろうし、同じ時代を生きてる同士で仲良くしよーぜ\(^o^)/なんて思うんですけど(笑)
イエッフー♪ オラオラ~
仲良くしよーぜ(о´∀`о)ノ
…なんてね。
ではでは、また!
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アデー(^-^)
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