スイスすごろく++スタートはドイツ++

計らずもドイツからスイス(ドイツ語圏)へ移住 両国の生活を比べつつサバイバル方法/学習記録をメモしていきたいと思います。

扉の開け閉めを気にし始めてからウン十年

Orange door, pink house

遡ることウン十年前、15歳の私はアメリカにホームステイをしにいこうと準備をしていました。なんせ初の海外で人様のお家にお邪魔するとなるので失礼のないように、アメリカでのタブーなどを調べていました。

 

見つけたアメリカホームステイの指南書などに、部屋の扉はできれば開けっ放しにした方が良いと書いていました。閉めると強く交流拒否をしているように見える、と。

 

え?扉は開けっ放し?プライベート空間がプライベートではなくなるって事?ちょっと意味が分からない、と思いつつアメリカへ渡り、指南書通りに開けっ放しにしていたところホームステイ先のかわいい三人兄弟(みんな就学前)に気軽に襲撃されるという苦悩がありました。可愛くって可愛くって仕方がないんだけど一人になりたい時は辛い…時々閉めたけどノック攻撃が凄かった。。

 

そして時が経ち、今度はドイツの家でホームステイする事に。扉はどうするんだ?と悩んだのですがそこのお家も開けっ放しでした。ホームシックで辛い時も開けっ放し…閉めると一気に近づくんじゃねえ感が高まる気がしたので。。

 

その後、別のお家で下宿していた時の扉は閉めていました。他の下宿生が閉めていたからなのですが。そこはホームステイというよりも本当に個々人が一軒家に暮らしているだけ、という感じでした。

 

そしてまたその後、下宿ではないですが三人住まいのホームシェアを始めました。どうやら家主は常に扉を開けっ放しのようだったので私も真似して開けっ放し。しかしもう一人の住人は不在が多かったからか閉めきっていました。

 

そしてまた別の街で大人数のホームシェアを始めた時に、人数が多いから閉めるのかな?と思いきや結構ガッツリどの部屋の扉も開けっ放しでした。

ちょろっと開いてる、じゃなくて完全に開ききってる状態です。
閉まっていると何かを隠しているのか他の住人と企んでいるのか、みたいな。。

 

こんな事を気にしながら生きてきたのですがホームシェアもしなくなり、夫と二人で暮らし始めてからも扉はどうなるんだとうっすら気にかけていました。

 

作業部屋にパソコンがあるのでそこでインターネットでも見てくると言われ、扉を閉めて趣味に関するサイトでも見るのかと思いきや、扉は開きっぱなし、集中して何かを読んでいても声はかけて良いようでした。声をかけても良い=中断させても良い、という認識でした。

 

しかし勉強をする時には扉を閉めるようで、集中したいからと閉めていました。

そこで、なるほど、扉を閉める時は勉強など本格的に集中したい時なのかと理解しました。

 

逆に私が勉強したい時に作業部屋の扉を閉めればいいものを、何故か閉められなくなりました。本格的に集中したいので邪魔をされたくはないのに閉めてしまうとあなたに対応する気はないんですよ、と冷たくあしらってしまう気がして。。

 

何なんだ、私の中途半端さは…と思いつつ勉強中はヘッドホンをして話しかけてくるなアピールをしたのですが普通に最近の話など聞かせようとしてくるので、ダメだ…これは伝わってない、と思いしぶしぶ扉を閉めることにしました。

 

先日職場で、ミーティングの為に他の社屋へ行きました。ミーティング後に開いてる部屋を探してラップトップで仕事を続けてたのですが、集中したければ扉を閉められるのに閉められませんでした。扉を閉じてしまえば完全に話しかけるなモード、職場で会議や秘密話以外でそれをやってはいきない気がして。

他の部屋も扉は開けっ放しで仕事をしていたというのもありますが。

 

ここまでつらつら書いてきて何が言いたいのかというと、日本人的感覚で閉めきる扉とこちらの人の感覚で閉めきる扉の基準がどうやら違うようだ、という事です。

アメリカに関してはホームステイの一件でしか判断できないので何とも言えませんが、ドイツ生活においては数々の経験を元に何となく感覚がつかめて来た気はします。

 

よく外国人は日本人に比べて謝らないと聞きますがなぜ謝らないのかというと相手に対して迷惑をかけていない、相手をわずらわせていない、と思っているから謝らないと思っている様に私には見えます。

 

例えば何か作業中の人に声をかけて質問すること、私の日本人的感覚では気を遣います。邪魔してすみません、という気持ですがドイツやスイスに居るとその感覚で話しかけると驚かれます。邪魔なんかしてないんだから堂々と話しかけろ、と。

私が誰かと話しこんでいる時に友人や同僚が平気で割り込んでくるというのもあります。あちらとしては邪魔しているという感覚はない。

 

何かが継続中の時に声をかけたり質問することは邪魔ではない=迷惑ではない=謝る事項ではない、という図式です。

 

なので扉が開いているうちはそれを許している状態。扉が閉まっているのはそれを許さない状態、という感覚なので日本人的感覚だとあまり普段から集中していなくても自分の世界に入ってこられたくないので扉を閉めると思うのですがこれをこちらでやってしまうと全くもって完全に閉鎖した人になってしまう。

 

そしてそれを続けると声も掛からなくなりコネ社会のチャンスを失いがち…などとちょっと大げさに書いてみましたが… もちろん人とその時の状況によります。

 

私も正直何が正しくて何がダメなのかは分かりません。私は趣味以外でも自分の世界にこもってじっくり考え事をしたいので、本当は扉を閉めていたい。日本でなら別に不思議な事ではない。でも私は別の国に来てしまったので別の国の文化にある程度適応しないと自分の生活が送りづらくなる。なので適応すべくこちらの文化の「普通」を探して、そこから自分の譲れるもの譲れないもの、調整できるものを探っています。

 

そうこうしている内に、本当は閉めていたい扉を開けたい気にもなってきました。

これが別の国の文化でぼんやり生きつつも、じわじわと侵食されていく部分です。自分で意識していなくても、こちらの常識が徐々に染み付いてくる。

 

そして海外在住者にありがちな、こちらの感覚を持ったまま一時帰国して日本でちょっと鬱陶しい人になってしまったりして落ち込む、というのを繰り返しています。。

 

まぁこの話もただの私の経験と見解なので人それぞれ別の思いや考えもあるだろうし、完全に扉を閉めっぱなしのシェアハウスや職場もあると思うので、こんな事を考えている人が居るんだな、位に読んでいただければありがたいです。