仕事で疲弊して、ふらふらしながら電車に乗って帰っていた時の話です。
私がいつも乗る電車の座席は、向かい合った二列席(四人で向かい合って座れる座席)が、真ん中に通路を挟んで左右にあります。
その座席の端っこに一人で座っていたら、通路を挟んだ反対側に座る人から「ニーハオ!ニーハオー!」と聞こえてきて、視界の片隅に手を振る人も見えるので、ふらふらしながら「ん?私にやってるのか?」と思ってチラ見したら「ニーハオー!コンニチハー!」と言っていて、バッチリ目が合ったので、「あ、やっぱり私にやってたんだ。」と思って、「なに?」と聞きました。
こういうのは、たまにある事なのですが、対応するのがめんどくさくて基本的には無視することの方が多いです。それなのに、疲弊して頭が働かなかったのか、返答してしまいました。
以下、会話はこんな感じでした↓
その人「どこの駅で降りるんだ?」と英語で。
私「○○だよ。」
その人「え?何、それ、どこの駅?そんなの存在しない。」
私「○○だよ。」と言いなおす。
その人「ああ!○○か。この電車はその駅の逆方向に向かって走ってるぞ。」
私「ううん、こっちの方向であってる。」
その人「○○と言えば▲▲が有名だけど、参加したのか?」
私「してない。」ともう話したくない顔…
その人「君は日本人なのか。」
私「うん。。」と、もう一度、もう話したくない顔を見せ…で強制終了しました。
そして、その人は去っていきました。
あー、めんどくさいのに対応しちゃった…。
疲れてるから判断能力が鈍ったのかなぁ??と駅に着いてからトボトボ歩きながら考え、気づきました。
違う!私、わざと対応した!!!自分の意思で対応したんだ、と。
通路を挟んで反対側の四人席に座っていたその人の、向かいに15,6歳の女の子が座っていたんです。
最初、その人はドシドシと音を立てて電車に乗って来て、その女の子の前に座って、すぐに女の子に質問して、近くの座席に置いてあった無料の地方新聞を、読んでもいいか!?とその子に聞いてたんです。とにかく誰かと喋ろうとしてたけど、動きも喋り方も乱暴で。
私も最初は、良かったー、私の前に座らなくて…と安心したのですが、その人が来る直前にその女の子がたぶん親友っぽい別の女の子とすごく楽しそうにお喋りしていたのが聞こえてきて、輝いているわ!みずみずしい輝きだわ!と思ってたんです。
幸せな光景…と勝手に思っていました。
で、心のどこかで、その女の子が怖い思いをしていないだろうか?と心配してたようです。自覚がなかったけども、無意識にその女の子への関心を減らした方が良いと思ったみたいです。
私だって、急に訳の分からない人に大きな声で乱暴に話しかけられたら嫌ですが、ある程度そういう事に対応する経験も増え、ドイツ生活でもスイス生活でも急に知らない男の子達にバカにするように「ニーハオ!」とか、たぶん中国系の人をバカにするようなことを言われたりする事はあるので、慣れたというか…。
変な話、本当に気をつけた方がいい危険な雰囲気をかもし出している人か、若気の至りでそういう事を言ってしまうタイプか、良い大人になっても人に対してそういう事をしても良いと思っているタイプか、ある程度分かります。
危険な相手は思いっきり距離をとって逃げますか、若気の至りでやってるタイプにはたまにわざと対応して「あなたがそういう事で楽しい思いをするのかもしれないけれど、私は心を持った人間だからね。あなたが対応している相手はロボットじゃないからね。自分のやってる事には責任持ちなさいよ。」と心をこめてじっと見つめます。
そうすると、たじろいでどこかへ行きます。
若気の至り系はともかく、大人になってもそんな事してるタイプには、何だか逆に情けないというか可哀想というか…この歳になってもそれを娯楽にできる心の乏しさがあるんだなぁ、、と哀れんでしまいます。
気が向いた時には、この人達にも上記の同じ対応をします。怒ったりしません。
ただ、人に対する敬意は払いなさいよ、という気持ちをこめてじっと見つめます。
わざと近づいていって、私もあなたと同じ人間だからね、と見せる為に。
そうすると、たじろいでどこかへ行ってしまいます。
私がこんな対応をしたからと言って、今後彼らの行為が変わるとは思わないのですが、むかつくので無言の圧力で不快な思いをお返してやろう、という流れです。
なので、全くもって良い話ではありません。でも、大人なんだからもうちょっとしっかりしろよ!という意味も含まれています。(私もしっかしてない大人なんですけどね…自分の事は大目にみます。)
でも前述した女の子への関心を反らそう、と思った事については、おばちゃん的感覚から自然にやったことでした。
自分が10代の頃なら怖かった変な大人の事が、今はもう怖くないんだな…と。
おばちゃんらしくなってきたぞ、と何故か喜びました。おばちゃんの無敵感に憧れていたのかもしれません。
歳と共に分かってくる、どれだけ周りの人に助けられてきたか(助けてくれた人々の年代になって、ふと事情が理解できるようになるアレです)、なんて感謝の思いはこうやって世の中に返していってるつもりです。これがおばちゃんデビューだった気がするので、これからはおばちゃん要素も人生の一部にして日々楽しく暮らしていきたいと思います。