小さな村みたいなところへ行って、見知らぬ人と話し始めると、どこから来たの?と聞かれます。日本から来たんですよ、というと小さな村の人にとっては初めて直に話す日本人のようで、色々質問されます。
その場で色々と答えながら、「この人はもしかしたら二度と日本人に会わない人生を送るかもしれない。そうなったら私が彼女の中で日本人のイメージになって、日本代表って事になるのかも。」と思いました。
そう思うと、なんだか背中がシャキっとして、変な印象与えないようにしよう!と少しは思うのですが、その反面、取り繕って良い人ぶるのもなんだかな~、とも思います。
ドイツに来たばかりの頃は真面目に、私は意外と日本代表みたいなものかも、ちゃんとしてないと!と思ってたんです。
でもずっと暮らしていくと、外国人慣れしている人からすると、何人だからどうのこうの…とかはあまりなくて、フランス人だから傲慢で融通がきかない、みたいな文句はポロポロ聞きましたが、結局のところ最終的にはみんな個人の事を見ていて、イメージを一つで完結させていない。
そう思うと、日本代表もなにも気にしてもあんまり意味ないなぁ…と思うようになりました。
しかも世間の目ってのは、驚くほど重要じゃないし、いかに自分が自分らしく好きな事して生きていくか、ってのに焦点を置いているようで、誰かのために自分を犠牲にしてごまかすというのは美徳でも何でもないのだと、ドイツ文化の中ではそうなのだ、と気づきました。
そこから、もう好き放題。だって自分を嘘で固めたって仕方ないもん。
日本代表の前に私は私なんだと。
元来、変わっている、とずっと言われて生きてきたのだから、もうそれで良いんです。
私が何かやらかしたところで日本のイメージがダダ下がることもないでしょう。
そもそも長年たくさんの日本人が築き上げてきた信頼のおかげで、私はドイツ生活が送れていたわけだし(滞在許可証の取得やビザなし観光で三ヶ月まで滞在できる、などの好条件です。)
逆に私がしゃかりき良い人のフリしたところで、ドイツの人はそれが日本だ!とは思わない様でした。傾向として捉えるというのはありますが、結局最後は個人をしっかり見ている。しかも支離滅裂な判断基準で褒めたりけなしたり…、だからどんだけ良い人でも相手のお目にかなわなければスパっと切られちゃう、っていうね…カオス!!(汗)
そうなると、相手に合わせて自分を違うキャラにするなんて本当にバカらしい。
そんな事を思ったドイツ生活でした。
なのでスイスでも、マイペースに好きに生きています。
どこから来たの?と聞かれたら、日本だよー、と答えて、その後の質問にもちゃんと答えます。
こないだ聞かれた、日本でもピータン(中華料理の黒い卵)食べるの?という質問には食べません、とちゃんと答えておきました。