ドイツ語でたまに聞く好きな言い回し「個人的にとらないでね」。
誰かと意見が異なって、それが相手を批判しているようにとられては困る時に、最初にこれを言っておきます。
私はこういう意見なだけで、あなたと意見が違うのは、あなた自身を批判したいわけではなくて、ただ違う見解を持っているだけなの、という場合に使います。
皆がもともと異なる意見を持つ事の方が自然なので、普段はこういうことはいちいち言わないのですが、相手の提案をどうしても変えた方が良いと思う時などは、気を遣いながら言います。改善の提案をする時にも、これは批判にとらないでね、とも言うことがあります。
このワンクッション入れて話すだけで、だいぶコミュニケーションがスムーズにいくな、と私は思います。
相手に対する配慮を見せるのは、自分の意見をはっきり言う文化でもとても重要。
そして相手を攻撃していない、という姿勢を見せるのもとても大事。
かといって、相手の意見を曲げさせて犠牲を強いるのはナンセンス、という考えでもあるのでまずは意見交換。そして間をとれるところをとっていく。
それでもパワハラみたいなのは普通にドイツでもありましたが…。
ドイツのパワハラは変な話、ドイツ人にそこまで仕事に必死になると言う姿勢がないので、定時に帰るための、自分が働かないようにする為のパワハラ、とかそういうちょっと意味不明なものでしたが…。これも私の経験話だけなので、他にも色々人によって違う経験があると思います。
話は最初にもどって…
私もこの表現を気に入って、よく使っています。
人の相談に乗ってる時にも、割と言う気がします。
「そういう仕組みなだけで、あなたを苦しめたい訳ではないだろうから、個人的にとらない方が良い。」と。
異見=批判=自己否定をされている、と思う人が少なからず居て、決してそういう事じゃない。意見がさまざまあるのが普通で、そこから共通の軸をとって、そこにそって社会が成り立っているだけで、共通の軸が最初にあるわけじゃない。共通の軸が正常な状態なのではなくて、皆で使っていこうね、という共通ルールを設けているだけ。だからそのルールに最初っから納得できなくても、おかしいと思っても良い。
共通の軸に最初からそえない自分を責めたりしてはいけません、と言いたいです。
もっと自由に生きろ!って言いたくなります。
でもそうするとドイツみたいなカオスに~
変なところで真面目かまして、うっかりはちべえのまんまカオス~(;´д`)
で、周りが疲弊しながら合わせる、という。
それもしんどーい!! けど自分がうっかりはちべえしても、そのまんまでなあなあ…
それかすんっごい怒られて、自己否定された気分になって、異見は批判、批判は自己否定、っていうトラウマモードが発動するのかなあ?なんて勝手に分析してましたが。
なんだかもっと、意見の違いを尊重できるようになる方法ないかなぁ?と
時々思います。
そうは言っても、私も思いっきり相手のやってる事で気に入らない事があって、批判したくなるときがあります。そのときの勢いが、相手の存在自体を否定しそうな勢いで、我ながら怖い。
そういう時は結局自分の事で納得できないイライラが募ってて、他人様のことを「修正」してあげれば解決するとでも思っている。
いらぬお節介という。
これが自分の心の健康状態を計るいい材料にもなっている。
他人様に干渉しないときほど健康。
相手のやってることを尊重できるときほど健康。
罪を憎んで人を憎まず、と言いますが異見が普通と思い、批判だと取らず、という言い回しを作るのはどうでしょうか。。
あーもう既に語呂が悪い・・・(;´Д`)
うーん。