常々、私のドイツに対するネガティブ発言のおかげで、このブログを読む人にはドイツに対して悪い印象を与えてしまうのではないか?と思っていました。
投稿した後に後悔してみたり…しかし投稿しちまったものは仕方ねえ!と開き直っておりました。ただ、やはり、私のドイツ生活約10年において、嫌な事もあったけれど、かなりの数の人に助けられ、良くしてもらってきたことの方がどう考えても多いのです。
軽く分かる範囲でどの位の人のお世話になったかなぁ、と数えてみたら優に100人越えてしまう。(途中でしんどくなって数えるのやめました…)
小学生になる前に「友達百人できるかな」なんて歌ったけど、そんなの余裕で越えちゃう位の人数!!友達だけじゃないけど…
そこを端折って愚痴ばっかり書いてちゃあ誤解を与えてしまって当然。。。
という事で、実は自分の為でもありますが、ドイツ生活での良い思い出をこれから時々綴っていきたいと思います。
早速、思い出されることその①ベルリンでの家探し
東ドイツからベルリンに引っ越す予定があったのに、家が全く決まらない時期がありました。探していたのはシェアハウスだったのですが、事前見学に来れない人は暮らせない、という事でベルリンに行く予定の無かった私にチャンスは皆無。
困った私はベルリン出身の友達に、どこか空き部屋がないだろうか?と聞いてみました。心優しいその友達は、彼女の幼馴染の男の子で複数人で住める家に一人で住んでる子がいるから、と彼に連絡してくれ、ゲストルームとして使ってる部屋を私が一緒に住めるようにとアレンジしてくれました…涙
しかも別に金銭的に困ってるわけではないから、と必要最低限の家賃でした…涙
ベルリンだったらどこでも良い、と適当な事を考えていた割にはその時期位から若者に人気の地区に住めることになり、徒歩や自転車でなかなか楽しいイベントに参加できるという日々を送らせていただきました。
そして、たまたま住んだ通りがベルリンの壁崩壊時に重要な役割を担った場所だったという事で、時々、今でも雑誌やテレビで名前を目にすることが出来ます。
あー!引越しまで期日が迫っててヤバイよぉ…と慌てて何も期待せず聞いてみたのですが、心優しいドイツ人の友達とその幼馴染のおかげでその後は楽しいベルリンライフを送らせてもらえました。
元同居人の名はローランド君。ローランド社のピアノを見ると彼を思い出します。
後は、桐島ローランド…とか。どうでもいい話ですが…
とまぁ、こんな風に、人に自慢したくなるような非常に良い思い出がありました。
うっかり忘れておりました(;一_一)。
初心忘るべからず!!!
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